無駄のないあがき

日々に疲れている全ての人類に癒しを。20代の人間による妄想×銭湯=癒しのブログ。

「全国大会への出場経験有り」に対する畏敬の念

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昔から全国大会への憧れが強い。

 

「全国大会に出たことがあります。」

 

そんなことを目の前の人間に言われた日には、

それまでのそいつの人間性、イメージ、評価というものが一瞬にしてリセットされ、

 

こいつ=すごい奴、という1+1=2以来の永久不滅の方程式が自分の中に生成される。

 

仮に「全国大会に出たことがあります。」と言われる前のそいつの人間としての評価が最低であったとしても、

仮に「全国大会に出たことがあります。」と言われた後にそいつが人前で盛大かつ故意に漏らしたとしても、

 

こいつ=すごい奴、という方程式が崩れることはない。

それ程の私の中では、全国大会出場という看板はとてつもなくデカいのだ。

 

 

たまにテレビのCMで見かける某毛髪クリニックの発毛全国コンテストのやつなんてもう涙なしでは見られない。

 

そう、全国から選び抜かれた出場者たちの、禿げ上がったbeforeからのフサフサのafterが比較・評価され、もっとも衝撃の変化を遂げた者に栄冠が与えられるあれだ。ちなみに偉そうにシステムを語ったが、大会のルールは全く知らない。

 

恐らくbeforeの時代に私が彼らと出会っていたら、「あ、この人髪の毛がないな」という印象を抱いているに違いないが、ひとたび「発毛日本一コンテストに出たんだ」と言われれば、その印象は髪の毛の有る無しに関わらず”すごい奴”になる。(コンテストに出ている時点でもう髪の毛は生えているとは思うが。)

 

したがってそのすごい奴がたくさんテレビに出ようものなら、私は感激のあまり、穴と言う穴から涙を流す。すごい奴のbeforeとafterがどれだけかけ離れていたとしても、私にとっては時間軸を超えてすごい奴になるのだ。

 

なのでもし自分がファミレスの店長の時に、「働いたら負けかなって思ってるんですげど、仕方なく親に言われて来ました。ちなみに水泳の全国大会に出たことがあります。」っていうニートが面接に来たら、「君すごいね。店長やらない?」ってなるし、

 

「私はテニスの全国大会に出たことがあるんですが、当選したあかつきには、色々面倒なのでとりま現状維持に努めたいと思います」という逆に革命的なマニュフェストを掲げる候補者がいたら、やっぱりすごい奴なので私は投票する。

 

それぐらい全国大会に出るということはすごいのである。

 

 

 

ちなみに私は穴掘りと水切りの全国大会に出たことがあるのですごい奴です。